本能というものか?
いやはや・・・・・パソコン開いたのいつぶりか?
前回ブログ書いてからもう一年近くも経つのか~恐ろしい
育児ってこんなにも・・・・・・・・
なんだろ、育児ブログまめに書いてる人もいっぱいいるのになぁ
私はというと、もうつねに脳みそパンク。キャパオーバーですハイ
チビさん、昨日で一歳半になりました
彼女今、人生で二度目の熱出して寝ております。明日の一歳半健診もキャンセルですわ
具合悪いからなのか、寝てても隣に人がいないと敏感に察知して起きて泣き出すんで、
今日は夏休み前倒しして休んだだんなさんが、寝かしつけて一緒に寝てくれてます
ありがたい・・・・こんなふうに夜ちょっとのんびりできるのも、いつ以来か記憶にないほど
いつもはチビさん寝かしつけて、晩ごはん作って食べて少し座ってたら、おっともう10時じゃないかと慌ただしく寝支度して~…って感じ
というかそういう私も立派に風邪ひいてんですけどね(笑)
ブログなんて書いてる場合じゃ・・・いやいや
今日は気まぐれに買ってみた本、萩尾望都さんの<ポーの一族/春の夢>
を、読んでちらっと考えたことを少し書きとめておきたくなったので
言わずと知れた不朽の名作少女マンガ・ポーの一族の、外伝というか続編というか
なつかしいね~私が本編読んでたのはン十年前です
第二次大戦の頃のエドガーとアランのお話で、二人の毎度の痴話げんかも出てきたりして
今、大人になってだいぶ経って読むと、この二人について、違う角度からの感想も浮かんでくる
エドガーとアランの関係は、言ってみればほぼほぼ、<保護者と子ども>
アランはエドガーに庇護されながら、わがまま言ってみたり、その庇護から抜け出そうともがいてみたり、
それでもエドガーが他者に目を向けてると嫉妬したり(笑)
エドガーはアランのきかん子ぶりに手を焼いたり、衝突したりしながらも、
いつも肝心なことはアランの目からは隠し、守りたいと願う
<春の夢>ではファルカに「エドガー、アランってきみのお荷物?」と焚きつけられて、
それはかなり核心に近い部分をついていたので、二人は仲たがいしかけます
核心には近いけれど、実際はどうなんでしょう?
のちにエドガーは、自分はアランの子どもっぽい部分、というか人間らしさにずいぶん支えられている、というようなことを口にしています
アランはアランで、いつも自分には大事なことを隠しているエドガーに、
「きみの役に立ちたい」・・・・・・・とつぶやく
(どうもこの二人の痴話げんかの原因は、いつもこの辺のすれ違いにあるような
エドガーは守りたい(その為にアランには子どものままでいてほしい)
アランの方はエドガーの役に立てるように大人になりたいのに、自立させてもらえない)
人はつねに、なにかの、だれかの、役に立ちたい、助けになりたい、と思う
どんなに無力でも
一歳半のチビさん、まだやっとよちよちフラフラと歩けるぐらいの赤ちゃんのくせに、
すごくお手伝いしたがるんです
洗濯物を畳んでいれば、服の山からだんなさんのパンツなぞ引っぱり出して、デタラメに渡してきたり
私が着替えていれば、私のパンツ持ってきてくれたり(いやもう穿いてます)
チビさんのごはんの支度をしていれば、自分の食事チェアとテーブルを所定の位置に置いてたり
鏡の前で髪の毛を結んでいれば、後でいつも抜け毛を掃除しているコロコロ持ってきたり
布おむつをバケツにつけ置きしようと、風呂の残り湯をひしゃくで汲んでいると、自分にやらせろ~とジタバタ
まあ当然ながら上手にはできないし、やり途中で本来の目的忘れて遊びにすり変わったりしてるんですが(笑)
でも、〇〇持ってきて!とか、おもちゃあっちに片づけて!とか、すぐ済むシンプルな用事ならちゃんとできる
そして、ありがとう!とか助かる~!とか心から言ってあげると、本当にうれしそうにするんですね
本人にとっては、<出来ることが増える>っていうのが純粋にうれしいだけなのかもしれないし、
もっと単純に、親のしていることのただの模倣なのかもしれない
親が何かしてたら、それが親にとっては面白くもなんともないただの家事でも、
なんか面白そうなことしてる!自分もやる~!って思ってるだけかもしれない
でも、出来たことをほめたり、よろこぶと、見せるあのうれしそうな誇らしそうな顔・・・・・・
あれはやっぱり、にんげんの中に眠る本能、
役に立ちたい!
その根源なのじゃないかなぁ、と思わずにはいられない
まだまだ赤ちゃんではあるけれど、私たち親もいつまでもエドガーみたいに大事なことから子どもを隔離して、
くるみ込むように守っててはいけないのだろうなぁ、と思う
そのさじ加減が今もこの先も本当に難しいのだけれど
ストックの紙袋を勝手に引っぱり出して、持ってウロウロご満悦。これは親のまねっこですね
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